簡潔に君が足りぬと思う夜 愛とか時間とかではなくて

数年?十数年?前に読んだり観たり聴いたりしたものを上手く解釈できないまま記憶の彼方に飛ばして、経験が増えて、ふと見返してスッと落ちる感覚。あれが好き。

 

「チョコレート革命」を最初に読んだのは高校生とかだったか。深夜にふと思い出してAmazonで中古品を購入。

 

あの頃純粋に素敵な感情だなと思った感覚は健在で、でもあの頃と違ったのはもっと深いところまでブスブス刺さったということ。こんな感情になれるんだから経験も文学も尊い、感謝。単なる経験という言葉に片づけたくないのが本音なのだが。

 

そんなこんなで短歌欲爆誕

一緒に西村曜さんの「コンビニに生まれかわってしまっても」も買ったので、自由律多め。

※フィクション、これはフィクションです。

 

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思い出が 証拠へ変わる日が怖くって 撮らない写真の代わりの短歌

 

海を見れば どうでもよくなると思ってた 波にさらわれぬ 確かな気持ち

 

本当は もっと優しく 愛したい 強い言葉は 守るためなの

 

白い泡が 消えては浮かぶ 三浦の海 覚悟しきれぬ さよならの念

 

遠く見える 離島にいるかもしれぬ人を 避けねばならぬ 関係値とは

 

いつもなら 微笑ましく思う子の顔も 今日だけは見せてくれるなと思えり

 

まあいっか 同じ気持ちと 白状する 同じ海眺む 七里ヶ浜

 

夕陽にかこつけて 決めたルールを破る お揃いの景色 いつでも見返せる

 

出会う時期が 違っていればで済ませない 済まされたくない 済まさなきゃいけない?

 

最後の男は他にいる 私が決める あなたがいいし

 

子どもって単語って諦めろって意味?意訳しかできないよ、私日本文学しかやってきてないもん

 

人のいない夜の繁華街 5分前に通った道 これからとおる道も一緒がいい

 

高速のライトが2秒後の未来を照らした この明るさが続いていかぬものか

 

カーナビの 到着時刻が 1分ずつ 早まることの 虚しさここに

 

愛しいと思うとき ムツゴロウさんのように触りたくなるんだな 必死に抑えた耳たぶひとつ

 

予想というより期待に近い 最後に絶対くれるあれ 今日もくれたね

 

寝る前に何を考えたってあたしの自由じゃない

もらったミンティアが消えるのがなんとなく惜しくて口の中でずっと転がしていた金曜日

 

最寄りまでの時間が短い方が考えることが少なくていい、それでいい、それがいい。

 

 

 

だらしない身体をやけに愛おしく感じてしまってからの記憶は曖昧でー

とはいえ、心の奥底でずっとこうしたいと思っていた夢が現実という名の輪郭を持ち出すまでの時間は早く、至極鮮明だった

 

初めてそれっぽいことを言われてこっそり断り方を検索していた春が、自分の気持ちが分からなくて言葉の定義を一晩中考えていた夏になって、ようやく受け入れた自分の気持ちを口に出さないように必死にこらえている秋になった。

季節が移り変わるように徐々にじっくりと変わる気持ちと現状。

季節はあと一つ過ぎ去れば元に戻るけれど、私の気持ちが戻ることはありますか。

 

 

 

最寄りまでの時間が長い方が「よく考えなさい」を自分に課せる。

課してみても、思考は気づかぬうちに「考える」から「思い出す」へ。

 

こんなことなら、やっぱり最寄りまでの時間は短い方がいい。

 

 

本当はやだなあ。

少女は卒業しない

小説を映画化すると、情報伝達の手段が「言葉」たった一つから「台詞」「表情」「場所」「音」などいくつもの手法に切り替わる。

その過程で解像度が高くなったり低くなったりすることはよくある。今回は後者だったけれど、それはもう仕方ないことだと思う。

 

また、原作とはキャラクターの設定や話の内容が変わることもよくある。別に原作に忠実にやることが最善とも思っていないし、それもそれで、と思っている。今回は予告の段階で全然違うという印象を受けたので、覚悟のうえで観に行った。

 

上記についてはこれ以上言及する気はない。ある程度心して観に行ったのだから。とはいえ、とはいえ…!原作の話の本質を捉えていなさすぎでは!?キャラクター設定も話も変えて、映画サイズに絞ったのだからもう少し原作とレイヤーを揃えられなかったのだろうか。抽象的すぎる…話の筋は変えても本質は変えないでいてほしかった。女子高生にチャリ漕がせて「大人になりたくないね、ずっとこのままだったらいいのにね」的なことを大声で叫ばせて、それ見てえもーいって思えばいいんですか?そうなんでしょうか。

 

これもまた原作厨の戯言なのでしょうか。原作を知らないで観た人はどんな感想を持つのでしょうか。私は割と何でもいいねいいねと言ってしまう性格だし、うーんと思ってもあまりネガティブなことは表現しないようにする節があるのですが、さすがにちょっと悲しかったなあ。

 

あ、藤原季節は最高でした。

 

死にがいを求めて生きているの

2022年の終わりに一丁前に1年を振り返ろうと思っていたのだが、気づいたら1月3日でした。さて、今からでも振り返るぞ!

とはいえ2022年は仕事もプライベートも怒涛で、なんか全体的にあまり覚えていない年でした。でも最初から最後まで全力で駆け抜けることは不可能、それで2年前潰れていたので、怒涛とはいえ2022年は上手く力を抜いたり入れたりしながら走りきれたんじゃないかと思います。

 

 

1月2日に朝井リョウの「死にがいを求めて生きているの」を読んだのですが、やっぱり私はこの1-2年考えることを放棄してしまっている気がします。というか怖いです。

学生時代、本を読んだり映画を観たりして深夜にくよくよと考えている時間が好きだったのですが、社会人になってからそれが怖いです。なんか一度止まったら走り出せなくなるんじゃないかというか、もはや考えずに疑問を持たずに前を向いて走ってる方が楽なんじゃないかと気づいてしまった。だけどそれって本当に面白くないし、自分の好きな自分になれないなあ。

 

ものによるが、本とか映画とかってただストーリーの面白さだけを求めて読んだり観たりしているんじゃないから。ちまちま読むよりも1冊まるっと一気に読んで、うーんと考えて、それがセットでできるような時間が社会人になくて。まあこれは言い訳なんだけど。

 

2022年はペースを緩めたりスピードアップしたりしながら駆け抜けた1年でしたので、2023年は時々止まって考え込んだらしながらも、またそこから走り出せるような1年にしたいです。

らって話なんだけどさ。

久しぶりの人が夢に出てきた。

とはいえ半年から1年に一度は登場している気がする。

最後に会ったのは成人式で、LINEをしたのも2018年の春が最後。

LINEのトプ画は今も高校生の頃から変わらずで、設定しているBGMも2019年リリースのものだから既にアカウントを新しくしているのかもしれない。

 

SNSはやっていないしFacebookにも名前はなかった。珍しい苗字なのでもしかしたらと思いウェブで検索。大学の研究室のサイトがヒットした。昨年修士号を取得したようだった。

 

サイトにはご丁寧に毎年の研究室メンバーの集合写真が載っていた。何も変わらないその姿に少しホッとした。ずっと何も変わらない。変わってないといいな。変わっていませんように。エゴだなあ。

 

あの頃、好きな作家が同じで、いつも2人で紹介しあっては読み、感想を言い合ってたよな。テストがある度に点数を聞き合ってたよな。別の学校へ進学しても、朝よくチャリで並走してたよな。文化祭も来てくれたっけ。

約束しなくても会えてたんだよな。約束しないから会えなくなっちゃったんだよな。

もっとちゃんと時間を作って君の話をたくさん聞けばよかったな。

 

人として好きだと逃げて、君の気持ちを見ないふりをしていたよな。あの頃、私が女の子だったから仲良くしてくれたのかな。人として好きでいてくれてたかな。

 

もし人として好きでいてくれたら、10年以上ぶりに好きな作家を教えてよ。

 

なんて!もう会えないんだろけどさ!

20代前半最後の夏ですね

陽キャとか陰キャとかポジティブとかネガティブとか

人にカテゴライズされる度に、なぜかそれとして自分を演じないといけないような気になる

 

最近、

前向きで行動力のある人と言われて、またそんなフリをして

つかめない性格と言われて、本心を隠す

または何かを秘めた人間のようなフリをした

 

明朗快活、清廉潔白な人間の言動で

自分がいっぱいになった

 

『20代で得た知見』を読んで琴線ギリギリで耐え、

「どろどろした部分をたくさん持っているけれど受け入れて前に進んでいける強い人」と言われて溢れ出した

 

夏生まれのいつも明るく笑顔を絶やさない超絶ポジティブガールは今日もかわいくくよくよと悩みしくしく泣きます

 

 

 

夏ど真ん中生まれのいいところは24歳の夏が2回あって25歳の夏も2回あるところ

 

夏から始まって夏で終わる1年だから

取りこぼしたり取り返したり

だから好きなのかなあ